1933年 三陸沖地震と2011年 東日本大震災
三陸沖地震による津波被害。本多静六も提唱していた森の防潮堤の重要性
東北の三陸地方は記録によると、貞観11年(869年)〜平成23年(2011年)の間に9回の地震による津波被害を受けています(表1)。昭和8年(1933年)の三陸沖地震の際、津波被害地域の調査が行なわれ、翌年には農林省山林局から『三陸地方防潮林造成調査報告書』が出版されました。そこには三陸地方各地における津波の被害状況が事細かく図表や写真を添えて記載され、実際に役立った防潮林の効果などがまとめられています。また、本多静六はこの中で、「防潮林ノ造成二就テ」という論文を発表しています。
ここでは、その『三陸地方防潮林造成調査報告書』から一部を抜粋して現代語に訳したものをご紹介したいと思います(引用部分)。
防潮林の効果
津波は海岸では水平に大きな水壁が押し寄せてくるように見え、波高以下の海深部では砕波となり奔流となって陸に打ちあがり、想定外に高い位置まで打ち寄せる。加害の影響は浸水または速度(エネルギー)によるもので、特に後者の被害が大きい。衝撃の大きさは、砕波地点から遠ざかるに従って減少し、また、曲面(円弧形)は平面に比べて小さく、傾斜面は垂直面に比べて小さくなる。防潮林は弾性に富み、幹枝は津波に対抗するのに有利な円形で、その水平速度を減殺し、樹林帯の幅によっては、単に浸水程度になるか、または林の中で波力を全く失い波は引いていくことになる。その上、これらの造成経費は他の施設に比べて明らかにコストが安価になるだけでなく、普段は防潮・防風作用により農作物を保護し、風致林、魚付林として、あるいは用材、薪炭等を供給するなど広く人々の生活に役立つ。
防潮林の効果が見られた「高田松原」の例
「高田松原」では、1933年の三陸沖地震時の津波の高さは3mでした。そして、2011年の東日本大震災では9mを超え、「奇跡の1本松」と呼ばれた松以外の7万本全てが津波により流されました。下記は、1933年の三陸沖地震時に、山林局および青森営林局で実査した多くの記錄の内、通称「高田松原」の例を抜粋します。(引用部分)
「高田松原」では、今回の津波の高さは三メートルとなった。幅五十メートルから二百メートルくらい、延長およそ三キロメートルに達する松林である。被災数年前、林内に建設された旅館「浩養館」は、眺望のため前面の松林を伐採したため、流失し死者三名を出した(写真上)。一方、同様に林内に建設された企業の福利厚生施設では前面に松林があり、一部にわずかの被害を受けただけだった。(写真下)
防潮林(森の防潮堤)造成方法について
本多静六は、防潮林造成の目的には、一度高台に移動した人々が、再び低地で生活できるようにする場合と、早急に効果的な防潮林をつくる場合とがあると述べています。その造成にあたり、確保できる土地の大小や防潮の効果を得るまでの時間を想定して造成案を論じています。また、造成における注意事項として、下草刈りの禁止や低木・下草はその地方に野生・自生する植物を用いることなどをあげています。次に同報告書掲載の『防潮林造成ニ就テ』より要約をご紹介します。各段落文末の図番号は同論文の付図の番号を示します。
防潮林造成方法について
①土地と防潮林完成までの時間を十分にとれる場合。海岸前線の不安定な場所は避け、草の生える所より後方にクロマツを造林する。海岸近くになる場合は護岸を施し、その後ろに防潮林、その後方に人家を作る(第一図)。
②林帯幅が十分に確保できる場合(約百八十メートル)は、クロマツの後方(約三十六〜七十二メートル以降)にケヤキ、ネムノキ、ポプラ、アカシアを混植し、下木としてマサキ、ツバキ、イボタなどを植える。道路はS字に設けるべきである(第二図)。
③急速に効果的な防潮林を造る場合は堤防と併用するが、堤防造築には多くの費用が必要なため、森林のみを材料に目的を達したい。そのためには林帯幅は約五十四〜九十メートルを必要とする。波打際に小堤を築き土砂が崩れるのを防ぎ、後方はマツの苗大小を数列植栽し、その後ろに高さ一メートル以下の堤防を築きその上にマサキを二列植える(第三図)。
④砂地に土が多く混ざり肥沃な場合には、クロマツの林帯幅を約三十六〜五十四メートルとし、その後ろにケヤキ、ナラ、カシワ等の広葉樹を植え、マサキ、イボタなどの下木も植える(第四図)。
⑤緩衝地帯があれば、桑畑、桐畑とするのが良い。後方に人家がある場合は、植栽区の最後列に小規模な堤防をつくり、その上にマサキの垣根をつくる(第五図)。
⑥確保できる土地が狭い場合には、人家を高台移転し、堤防を築き前後にマツを植栽する(第六図)。
昭和8年(1933年)の三陸沖地震では陸前高田の「高田松原」はほとんど流されず、林内の建物を破壊から守るなど、マツを主体とする防潮林が津波の勢いを軽減する効果を発揮したことがわかります。そのため、本多静六の論文内でも防潮林として植える樹種はマツが主体とされています。
平成23年(2011年)東日本大震災による津波被害
一方、78年後に起きる東日本大震災では、「高田松原」は「奇跡の一本松」として報道され、70000本の松のほとんどが流されてしまうという想定外の大津波でした。海岸沿いに植えられたマツは仙台平野などでも根こそぎ倒され、それが二次・三次の津波で数百メートルも内陸側に流され、家々を破壊する凶器にもなりました。この大震災直後に行われた宮脇昭による被災地の植生調査では、土地本来の樹種である常緑広葉樹が大津波に耐えていたことがわかりました。例えば、宮城県南三陸町や岩手県大槌町などの鎮守の森(写真)はしっかりと残り、急斜面に生えている土地本来の樹種であるタブノキ、ヤブツバキ、マサキなども、斜面の土砂が津波に洗われて根が露出していますが、倒れずに残っていました。宮脇昭は、過去からの調査も踏まえ、マツと常緑広葉樹とで造る森の防潮堤を提唱しています。
岩手県山田町の「森の防潮堤」づくりについて
鎮守の森のプロジェクトでは、2018年8月に岩手県山田町田の浜の防災緑地において「森の防潮堤」をつくる植樹祭を開催しました。この地も当然、昭和8年(1933年)の三陸沖地震では甚大な被害があった場所です(写真)。
また、『三陸地方防潮林造成調査報告書』において、津波に備える防潮林を造成すべき地域として記されています(図)。当財団では、昭和の津波被害から78年の時を経て、防潮林の必要があるとされてきたこの山田町田の浜に、地元の子どもからお年寄りまでの皆さまと共に植樹することができました。
日本は自然豊かなうつくしい国です。同時に、大地震・大火事・大津波・台風・洪水など、自然災害も多く起こります。本多静六や宮脇昭らにより受け継がれてきた鎮守の森づくりの知見と、植生学・植物生態学をふまえ、あらゆる自然災害に耐える森をつくることが重要です。
鎮守の森のプロジェクトで行っている植樹は、宮脇昭が長年の植生調査によって確立した、その土地に適した十数種類の木を密植・混植し、苗木をお互いに競争させながら森をつくっていくというものです。この方式により、在来の多様な樹種によって構成される豊かな森を、自然にまかせるよりも短い期間でつくることができます。相次ぐ震災に見舞われている今こそ、震災の教訓として「災害からいのちを守る森」を皆さまと共に未来に残していきたいと思います。
監修 鈴木 伸一/東京農業大学地域環境科学部教授。鎮守の森のプロジェクト技術部会長。専門は、植生生態学、地域環境保全学。環境省自然環境保全基礎調査植生図凡例検討委員、経産省環境審査会顧問、群馬県尾瀬保護専門委員、神奈川県文化財保護審議会委員。
引用/農林省山林局『三陸地方防潮林造成調査報告書』一九三四年
宮脇昭・奥田重俊・井上香世子「明治神宮宮域林の植物社会学的研究」『明治神宮境内総合調査報告書』269-333、明治神宮社務所、1980年