
日本製鉄九州製鉄所大分地区『故郷の森』植樹後50年の森
はじめに
私ども公益財団法人鎮守の森のプロジェクトは、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う東日本大震災をきっかけとして設立されました。巨大地震と津波による被害と22,000人以上もの方々が犠牲になられたことは、まだ記憶に新しいところです。
太平洋側の海岸線には、防潮・防風・防砂の目的で発達したクロマツやアカマツの海岸林が配置されていましたが、津波によってなぎ倒され居住地は破壊されました。それらの海岸林が津波に対する効果がなかったわけではありません。それらがなければもっと甚大な被害が生じていたでしょう。マツたちは津波に抗って、幹が折れ、倒伏・根がえり、潮で枯死するなど、身を呈して頑張ってくれました。当時のニュースでは、マツの幹にしがみついて津波から身を守った人の映像もありました。当時の海岸林は与えられた役割を果たしたのです。
巨大なコンクリートの防潮堤をも破壊した大津波は、海岸林を破壊しましたが、樹種や植え方の工夫によって、より津波に強い防潮林をつくることができると私たちは考えています。その取り組みの一環が以下にご紹介する樹林の育成です。すなわち、その土地本来の自然林構成種の苗から森を育成する方法で、成長した森は津波から身を守る命の森であり、災害や環境保全効果の高い樹林です。この環境保全林は、横浜国立大学名誉教授の宮脇昭先生が提唱し『ふるさとの森』とも呼ばれています。50年以上にわたって国内約900カ所、海外では東南アジア、インド、チリ、中国など300カ所あまりで造成が行われ、現在では高さ20m以上にも成長している例も少なくありません。
このような環境保全林の造成方法は、今では『宮脇方式』(Miyawaki method)と呼ばれ、海外では『宮脇の森』(Miyawaki Forests)として紹介されるようになってきています。
本稿は、約50年間におよぶ宮脇の森のはじまりとその後の流れについてご紹介し、皆様の津波防潮林についてのより深いご理解にご案内するものです。

フランスパリでの宮脇の森づくり(2019年撮影)/写真:Enrico Fusto & Tomasz Lamartine
環境保全林と植生生態学
残念なことですが、宮脇昭先生は2021年7月に93歳で逝去され、宮脇方式について直接うかがうことはかないませんが、これまでのご指導や著作などからご紹介したいと思います。環境保全林の歴史と発展に関するより詳しい情報は、宮脇先生が長らくセンター長を務められたIGES-国際生態学センターの「照葉樹環境保全林の研究小史」(原田・鈴木2021)をご参照ください。
植生生態学者である宮脇先生は、1960年代後半から精力的に日本国内各地の植生調査を進められ、その報告書や論文には調査結果に加えて、応用研究として環境保全林の研究や造成の提案がなされています。1968年には「藤沢市西部開発区域の植物社会学的研究」の中で、現地植生調査に基づいた「ふるとの森復元への緑化計画」が提案され、また1974年には、「学校環境保全林形成のための植物社会学的考察:全国158校の現地植生調査に基づいて」をまとめ、1976年には実践的に横浜国立大学構内の環境保全林の植栽を行っています。この横浜国大の森は、現在では20mを超える常緑広葉樹林に発達して森に囲まれたキャンパスを創出し、環境省の自然共生サイトにも認定されています。
宮脇方式の理念は、その土地本来の自然植生(潜在自然植生)を判定し、その構成種を植栽して限りなく自然林に準ずる森を創生することにあり、その方法は通常の植林や人工林とは大きく異なっています。様々なノウハウがありますが、その方法を簡潔にまとめた紹介(鈴木2022)をご参照ください。

横浜国立大学の森。植樹から48年経過(2024撮影) /写真:Angelina Lee
日本製鉄九州製鉄所大分地区の『郷土(ふるさと)の森』-環境保全林の原点-
宮脇方式のはじまりの初期に実施された、工場緑化の実践活動の例として、1972年に開始され現在も継続されている、新日本製鐵大分製鉄所(現在の日本製鉄九州製鉄所大分地区)の『郷土の森』の育成があります。この森づくりが現在の「宮脇方式」の礎といえるものです。現在も使われている「ふるさとの森」という呼称は、当初から宮脇先生が提唱し、工場用地以外にも環境整備や緑化の一環として各地に普及して行きます。
私たちは今年(2024年)4月にこの森を見学し、林内の観察もさせていただきました。この郷土の森は、別府湾に注ぐ大分川と乙津川の河口埋立地に立地した製鉄所の内陸側に創生された環境保全林で、植栽から50年以上を経た現在では樹高20m以上に達し、明治神宮の森を彷彿とさせる壮大な森に成長しています。当時は工場緑化といえば、根巻きした成木を広い間隔で移植して支柱を添えた、森とは程遠いものが一般的でした。正に生態学的手法を取り入れた環境保全林の真骨頂といえるものです。
実はこの森の当初の植栽方法は、私たちが現在普通に実施している宮脇方式とはかなり異なったものでした。ポット苗自体も普及していない時代で、今では当たり前のビニールポットも無く、スチール缶を試してみたがあまりうまく行かなかったなど、何もかも試行錯誤だったことを宮脇先生から伺っています。しかし、現在の宮脇方式と共通しているのは、現地の植生調査から出発していることです(図1)。

図1. 植栽に先駆けて行われた植生調査の一例。湊区八幡宮の社叢林

図2. 図1. 新日本製鉄大分製鐵所(当時)の1972年の植栽直後(写真左)とその50年後(2022年撮影)の日本製鉄の「郷土の森」(写真右)。植栽後50年を経て樹高20m以上の発達した常緑広葉樹林に成長している。
現地の鎮守の森などまとまった森林の植生調査から潜在自然植生を判定し、その構成種を現地で採取し苗木に仕立て、密植するという基本的なノウハウは当初からのものです。
当初の植栽樹種は、現在と比べると種数が少なく、例えば1976年植栽の横浜国立大学キャンパスの例では、タブノキ、アラカシ、シラカシおよびスダジイのほか、潜在自然植生構成種ではないクスノキを含め、高木林構成種のみの5種だけでした(藤間ほか,1994)が、現在行われている植樹活動では低木類も利用され、30~40種もの樹種が植栽されています。また、日本製鉄郷土の森は、苗木は列状に配列されていますが、現在の宮脇方式ではできるだけ自然の状態になるようランダムに植えることが推奨されています(図3)。そのほか、植栽後の稲わらマルチング、ポット苗育成技術と生産体制など技術・組織的側面の向上など、宮脇方式は50年前と比べて大きく発展してきています。また、それらと並行して、地球環境問題、環境保全、生物多様性、災害防止あるいはCO2問題などを背景に、森づくりに賛同する海外を含めた多くの方々に支えられ、世界的にも広がりを見せています。

図3 日本製鉄「郷土の森」の林内。列状に植栽されているが、実生が育ち始めている。

林内を調査する鈴木博士
植生生態学の研究成果としての環境保全林
以上のように、宮脇方式は卓越した森づくり方法として認められてきていますが、忘れてはならないことは、同方式が植生生態学的な現地植生調査に基づいた地道な研究成果の延長線にあるということです。これまで宮脇先生が各地で蓄積されてきた膨大な植生調査資料の解析結果に基づいて、対象植栽地の立地環境に適した植栽適正樹種を選定し、種ごとに植栽割合を算定した結果が環境保全林という形で反映されているものです。自分の好きな木を勝手に植えればよいものではありません。森づくりの理念に賛同し実践する私たちは、ただ木を植えるだけではなく、なぜその木を植えるのか、どういう理由でその樹種が選定されているのかをよく理解した上で植樹に参加したいものです。
私は植生学を学びたくて宮脇研究室に入れていただきましたが、先生から具体的な植生学の講義を受けたことはありません。研究室ではゼミや座学があるわけではなく、野外で日々行われる植生調査が授業といえるものでした。野外での調査・観察とデータ整理の繰り返しによって自然を見る目が醸成され、植物社会の姿や仕組みが徐々に理解できるようになってきたと感じています。また、環境保全林について興味があったわけではなく、研究室に入ってからも宮脇先生がそのようなことに取り組んでいらっしゃることすら知らない状態でした。ある日、宮脇先生のお供で拝聴した先生の講演が植生学の研究ではなく、宮脇方式の環境保全林でしたので戸惑いました。その後何度も聞くことになる講演は、ほとんどが環境保全林の実践例でした。しかもいつも一言一句ほぼおなじ内容で、話の順番とセリフなど覚えてしまうほどに…。潜在自然植生については、講演を通じて聴く機会が多かったです。さすがにそれだけ何度も聞かされると、環境保全林の大切さについても次第に植生学の研究成果や理論と結びつけて考えるようになり、皆様にもお話することができているわけです。

ポット苗講習会の様子
今後に向けて
当財団では、東北の津波被災地での植樹だけでなく、宮脇方式についてもっと皆様に知っていただく目的で、ポット苗の栽培方法と作成手順に関する講習会を開催しています。その内容は財団ホームページにて紹介されていますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。ポット苗は、森の構成種であり将来の発達した森を担う最も重要な存在です。ポットで育てた苗であればなんでもよいというものではなく、苗木の良し悪しが植栽後の成長に大きく関係してきます。本格的宮脇方式の修得のためには、環境保全林の理論を植生生態学的研究成果として理解した次は、植樹の中心であるポット苗育成のためのプロの技を体験、会得することもノウハウの一環として重要です。興味のある方のご参加をお待ちしています。
著者:鈴木伸一/植生学者
IGES国際生態学センターセンター長。博士(学術)。1958年群馬県生まれ。明治大学農学部卒業後、横浜国立大学環境科学研究センター植生学研究室にて、宮脇昭先生に師事、薫陶を受ける。群馬県立高等学校生物教諭、IGES国際生態学センター研究員、東京農業大学短期大学部教授・同大地域環境科学部教授を経て2024年7月より現職。環境省植生図凡例検討委員、経産省環境審査会顧問。群馬県尾瀬保護専門委員。共著に『日本植生誌第3~10巻』(至文堂、1983~1989)、『植生景観とその管理』(東京農大出版会、2014年)、『環境を守る森を調べる』(海青社、2018年)など。
引用・参考文献/原田洋・鈴木邦雄(2021)照葉樹環境保全林の研究小史.JISE REPORT, 6:1-6.URL /宮脇昭・藤原一絵(1968)藤沢市西部開発区域の植物社会学的研究.44pp. 藤沢市./宮脇昭・佐々木寧・奥田重俊・原田 洋・藤原一絵・鈴木邦雄・堀田一弘.1974.学校環境保全林形成のための植物社会学的考察.横浜国立大学環境科学研究センター./鈴木伸一(2022)都市部に森を再生:限りなく自然に近い環境保全林を育てる.URL /藤間熈子・石井 茂・藤原一絵.1994.横浜国立大学キャンパスの現存植生.横浜国立大学環境科学研究センター紀要,20:31-96.