最初に先生にお会いしたのは熊本県知事の時「緑の倍増計画」についての指導をお願いしました。それから時がたち、再びお会いしたのは東日本大震災という未曽有の自然災害に襲われた翌年の3月(2012年)でした。
震災直後から復興に寄与できることが無いか、広く識者との意見交換をしていた同じ頃、先生は被災地の調査を行い、山積になった震災瓦礫を前にして「緑の防潮堤」構想を練られていました。この構想を耳にした時、これこそ後世に残すべき事業だと直感し、先生の研究室を訪ね、実現に向けて御相談をいたしました。
学者である先生には「緑の防潮堤」づくりの指導をお願いし、私はその活動の母体となる組織を運営することになり、立ち上げた組織名は「一般財団法人瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」でした。
植樹活動が始動したのは宮城県岩沼市の「千年希望の丘」と福島県南相馬市の「鎮魂復興市民植樹祭」で、それが活動のメイン舞台となり、その後岩手県山田町・三重県明和町・高知県南国市・大阪府阪南市など全国に展開しています。
2015年正月に脳出血で倒れられ、現場に出ることが出来なくなられた先生を何度かお見舞いしましたが、森づくりを熱く語られる姿に感動を覚えた記憶が鮮明に思い出されます。倒れられたとき先生は『私には3つの願いがある。一つ目はもう一度現場に立つこと。二つ目は新たな本を出版すること。そして三つめは森づくりに関心のある方々の前で講演すること』と言われたそうです。三つ目の講演はかないませんでした。
先生が構想された「緑の防潮堤」は現在「千年希望の丘」で実証されています。まさに10㎞わたる緑の防潮堤が出来つつあります。私たちは今「災害からいのちを守る森」づくりを通して、先生の森づくりにかけた精神を継承し、全国にこの哲学を広める決意をいたしております。
これからの活動を空の上からお見守り下さい。心よりご冥福をお祈りいたします。
公益財団法人鎮守の森のプロジェクト
理事長 細川 護熙